「これを読んだら他の「病気×恋愛」の小説は、薄っぺらく感じてしまうな…」
そう思わされたのは、30万部のベストセラーになっている小坂流加さんの小説「余命10年」です。
「よくある『病気×恋愛』の小説か」なんて侮るなかれ。
今まで小説はいろいろ読んできましたが、これはすごい。ここまで死がリアルに描かれている小説は他にありません。
「余命10年」の死がリアルなのには理由があり、それこそがこの小説の切なさを一層増幅させています。
この記事では、以下のことを解説。
- 「余命10年」はどんな作品?
- 「余命10年」を読んだ感想は?
- 他の「病気×恋愛もの」と何が違う?
「余命10年」が気になっている方は、ぜひ一読を!
Contents
「余命10年」は難病で亡くなった小坂流加(こさかるか)さんの初小説

この小説が他の難病の恋愛物と大きく違う点2つあります。
それは、著者の小坂流加(こさかるか)さん自身が難病を抱えていたこと。そして「余命10年」の文庫版が完成する前に病気が悪化し亡くなられていることです。
ぼくはこの事実を知らずに小説を読み始めましたが、まさか亡くなっているとは…
しかもよく調べてみると、小説が単行本として発売されたのが2007年。大幅な加筆・修正を加えて文庫版が発売されたのが2017年。
そう、ちょうど10年。主人公の茉莉が病気になってから生きた時間と、完全に一致しているんです。
これほど一致しているのですから「余命10年」というタイトルと、小坂さん本人を重ねずにはいられません。
「余命10年」の主人公・高林茉莉(たかばやしまつり)は小坂流加さん本人がモデル

著者の小坂流加さんと主人公の茉莉は、まったく同じ境遇。それもそのはずで、茉莉は小坂流加さんが自分自身をモデルに描いています。
- 病気になったときに「人生なんて10年あれば十分だよ」と家族の前で口にしたこと
- ドラマやバラエティーが観れなくなっても、アニメだけは大丈夫だったこと
- 健康な体で「普通の人生」を過ごす同級生に強い嫉妬を覚えたこと
- 死がすぐそこまで迫ってきたときに溢れ出た本心
小説はフィクションですが描かれている茉莉の「死への感情」は、小坂流加さんの投影であり本物です。
普通の病気で死ぬ展開の恋愛小説だと、死の場面はそこまで詳しく描かれません。好きな人と別れる男性側の気持ちが中心になりがちです。
しかし「余命10年」では病気で死ぬ女性側の視点で話が進みますし、死に近づいていく様子と心理が細かく描かれています。
死を間近にした茉莉の心理描写は、小坂さんの心の叫びにしか思えません。
「余命10年」の感想

余命10年を読んだぼくの感想は、大きく分けて以下の4つ。
- 恋愛小説ではなく、1人の女性の”10年間の生”の物語
- 誰もが余命10年の茉莉と変わらない
- 出来ることがすべてなくなっても、生きていると言えるのか
- すべてを捨てた茉莉に残ったもの
順番に詳しく解説します。
感想①恋愛小説ではなく、1人の女性の”10年間の生”の物語
「余命10年」は『涙より切ないラブストーリー』を謳っていますが、恋愛が始まるまではちょっと遅めです。
物語の最初は、茉莉がアニメオタクである親友の沙苗がきっかけでオタクに目覚め、アニメイベントにのめり込んでいく姿が描かれています。
その後、短大時代の親友から男を紹介されそうになることはあるものの、その彼と出会うことはありません。茉莉が恋の相手となる真部和人(まなべかずと)と出会うのは、物語の3分の1が終わったあたりです。
「涙より切ないラブストーリー」というわりになかなか恋愛が始まりません。展開が遅いと感じましたし、なんでこんな構成で書いているのかが不思議でした。
しかし最後まで読んで、どうしてなのかが分かりました。
「余命10年」は恋愛小説ではなく、「余命宣告された茉莉の10年間を描いた作品」だからです。
茉莉のモデルが小坂さん本人だということを考えれば、小坂流加さんが死とどう向き合って生きていたかを描いていた作品というほうが正しいかもしれません。
恋愛がメインになっていますが、物語の根底にあるのは「生きること」への思いです。
感想②誰もが余命10年の茉莉と変わらない
発病してからというもの、いつも体のどこかに不調があり、思考にはいつもネガティブな霞がついていて、水分制限や、塩分制限を厳密に守ろうとすると、何を食べても味気なかった。
それなのに絵を書き始めた途端、それらが一掃されたのだ。
まるで、発病するまえの自分に戻れたような感覚だった。だから夢中になって書いた。(中略)
書いている時だけは、心も体も、病気を忘れられた。
沙苗たちに絵を書くことを薦められた茉莉は、ずっと書いてなかった絵をまた書くようになります。余命を言い渡されている中でも楽しめるものを見つけ、それにのめり込んでいったわけです。
茉莉が絵を描くことに夢中になれたのは「楽しかったから」ですが、もうひとつ理由があります。
絵を書いている間は病気のこと=死を忘れられた。つまり生きていることを実感できたんです。
茉莉は余命10年を宣告されていますが、これってよく考えるとぼくたちとそんなに変わらないんですよね。
今は平均寿命が80年。これが人の一生だとすると、ぼくたちはみんな余命80年の人生を生きていることになります。
どんな人でもいつか必ず死ぬもの。それが早いか遅いかの違いしかありません。
でもぼくたちは茉莉のように死を意識して生きているかというとそんなことはない。
むしろいつか必ず死ぬということを忘れて、毎日を生きています。
茉莉の場合は絵でしたが、ぼくたちも何らかの楽しみを見出し、死を忘れることによって生きることができています。
死を忘れるため何かに没頭しているのは、茉莉もぼくたちも変わりません。
感想③出来ることがすべてなくなっても、生きていると言えるのか
甘かった。死は、確実だけれど、もどかしいほどゆっくりと迫ってくるものだった。
茉莉は死は一瞬でくるものだと思っていました。しかしそうではなかった。
今まで出来たことが少しずつ出来なくなっていき、最後にはすべてを奪い去っていく。それが”死”なのです。
温かい肌のぬくもりがあるのだから、まだこの子は生きているの ー
そう言って、母は私の手を撫でるかもしれない。その体温は、母の心をを温めて、慰めてくれるかもしれない。
けれど、そうなった私は、私から見たら十分死んでいる。
排泄の処理と、最低限の意志が持てないのなら、それを生きていると私は認めない。
病気が悪化するにしたがって茉莉は自分の力で出来ることが徐々になくなっていきます。
入院する前はコスプレの衣装を作ったりイラストを書いたりしていましたが、それも出来なくなりました。
排泄の処理は看護師さんにやってもらい、お風呂に入れないので時々体を拭いてもらうという状態。ベッドから降りることも部屋から出ることも出来ず、以前のように外を自由に歩くことも出来ません。
最近はよりよい働き方や人生の生きがいなど、充実した生き方を求める人が多いです。
確かに自分が生きがいと思えるものに打ち込むことは大切なこと。しかしどんな生きがいも、健康な体であることが絶対条件です。
茉莉のように、ベッドから降りることもできないほど自由が失われている状態では、どんな生きがいも価値を失います。
ベッドに横になって、管で酸素をおくられながら生きている状態。それでも「人生に意味がある」なんて言えるんでしょうか?
感想④すべてを捨てた茉莉に残ったもの
茉莉は死がすぐそこまで迫ってきてからは、「どうせ死ぬのだから」といろんなものを捨ててきました。
- 将来を夢見る力
- 仕事への憧れ
- 人と同じ生き方
- 子どもを作る希望
- 結婚・恋
- 友人・愛する人
その判断に後悔はなかったし間違っていないと思っていました。しかしあることがきっかけで、茉莉は自分の本心に気付かされます。
だけどやっぱり。心を晒していいのなら。
やっぱり。やっぱり。寂しいよ。
すごくすごく寂しいよ。一人ぼっちはやっぱり寂しいよ。
いろんなものを捨て自分の運命を覚悟していた茉莉が、死の淵になって感じたことは「恐怖」ではなく「寂しさ」だったんです。
もし茉莉がたくさんの人に看取られながら死んでいくことを選んでいたら、また違ったのかもしれません。
でも死ぬ瞬間は誰とも一緒じゃないし、何も持っていけない。死は孤独なものです。
おそらくこの寂しさも、茉莉のモデルである小坂さん自身が感じたものなんでしょう。
そんなことを思い、ぼくは恐怖を覚えました。
「どんな生き方だったらよかったのよ・・・」
これは死ぬときになったら、誰でも思うことなのかもしれません。ああ、いったいどんな生き方なら後悔しないんだろう。。。
まとめ〜「余命10年」は『映像化したい小説No.1』

「余命10年」は口コミから広がってSNSでも話題になり、第6回静岡書店大賞 映像化したい文庫部門 大賞を受賞しました。
「映像化するならこのキャストがいい」といった意見も多く出ていて、映像化を希望する声が根強い。それだけファンがいる作品ということですね。
難病を抱えた著者の思いが溢れて読むのが辛くなる傑作。
よくある恋愛物と思ったら大間違い。ぜひ読んでもらいたい作品です。
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