
スピッツファン歴12年のリュウです。
10thアルバム「三日月ロック」に収録されている『水色の街』。
スピッツの27枚目のシングル曲です。
スピッツの曲はいろんな歌詞解釈がされていますが、この曲には有名な解釈があります。
それはこの歌は入水自殺をしているんじゃないかというものです。
歌詞や曲の背景なんかから考えると、自殺をしているという解釈はかなり有力なんじゃないかと思います。
ただぼくはいろいろと調べた結果、この曲にはものすごい奥深さがあると感じました。
キーワードは「川を渡る」です。
「水色の街」が自殺の歌である根拠
曲は不穏な感じのギターの音で始まり、以下の歌いだしに入ります。
川を渡る 君が住む街へ
会いたくて今すぐ 飛び跳ねる心で
水色の あの街へ
この歌いだしだけ聴くと好きな子にウキウキ気分で会いにいこうとしているように感じます。
しかし気になるのはこのあと。
優しくなって プレゼントもって
会いたくて今すぐ 間違えたステップで
水色の あの街へ
会いたくて今すぐ 泥まみれの靴で
川を渡るなら普通、橋か船を使います。
それなのに靴が泥まみれになっているというのはどういうこと?
しかも「間違えたステップ」で水色の街に行こうとしている。
この点から主人公は川を歩いて渡ろうとしているんじゃないかと考えることができます。
靴が泥まみれになるのは川の近くの泥になっているところに足を踏み込むためです。
川を歩いて渡るなんてことをしたら死んでしまいます。
それを自分の意思でやっているのだから入水自殺をしようとしているんじゃないか、ということです。
好きな子に会おうとしているのに入水自殺をするということは、彼女はもう死んでしまっている。
だから自殺することであの世にいる彼女に会おうとしているんです。
また、「川を渡る」というのは三途の川のことで、水色の街は三途の川に映るあの世のことだとも考えられています。
ぼくは川=三途の川という解釈はかなり正しいと思っています。
曲のモチーフの川崎市と三途の川の関係
水色の街は曲を作ったボーカル・草野マサムネさんによると、神奈川県川崎市をモチーフにしているとのことです。
川崎市には川崎大師という場所があり、ここは三途の川と関係のある場所です。
どんなものかを知ってもらうために簡単に三途の川について説明します。
今さら聞けない「三途の川」の意味
三途の川は仏教の言葉です。
此岸(しがん・現世)と彼岸(ひがん・あの世)の間にあって死んだ人が7日目に渡るといわれています。
三途の川は渡る場所が3つあり、罪の重さによってどこを渡るかが決まります。
渡る場所が3つあるから三途の川という名前になっています。
- 善人・・・金銀七宝で作られた橋
- 軽い罪人・・・山水瀬(さんすいせ)という浅瀬
- 重い罪人・・・強深瀬(ごうしんせ)という深瀬
三途の川を渡った先には極楽浄土、つまり天国があります。
川を渡れずに流されてしまうとそのまま地獄へ行くことになるので、重罪人のほとんどは地獄にいくことになります。
三途の川と川崎市の関連
三途の川のほとりには衣領樹(えりょうじゅ)という樹があり、そこに奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)という老夫婦の鬼が住んでいます。
この老夫婦が衣服をはぎ取って樹にかけると罪の重さが分かるため、三途の川をどこから渡るかが決まります。
しかし江戸時代ごろから六文銭というお金をもっていると、だれでも善人が渡る橋を使うことができると考えられるようになりました。
六文銭は生前の悪事を反省して心を改める証として納めるものです。
前述した川崎大師には「しょうづかの婆さん」と言われる奪衣婆の像があります。
このことから「川」という歌詞は三途の川をあらわしている可能性がかなり高いです。
三途の川から考える「水色の街」の歌詞解釈
おそらく三途の川というと死んでからあの世にいくときに渡る川って認識の人がほとんどではないでしょうか?
しかし渡る場所が3つあったり善人は橋を使って渡れることなど、世間的には知られていない意味もあります。
三途の川の意味を知ったぼくには、ある意味入水自殺よりも恐ろしい解釈が浮かびました。
この曲の主人公は何かの理由で死んでしまって三途の川の前にいます。
自殺かもしれないし病気とかで死んだのかもしれません。
三途の川の向こう岸では死に別れた彼女が主人公を迎えにきています。
彼女は無事三途の川をわたって天国にいくことができたようです。
やっと彼女に会えると喜んでいた(飛び跳ねる心)主人公ですが、善人ではなかったため川を直接渡っていかないといかなければいけないことを知ります。
川に直接入るので靴は汚れてしまいます(泥まみれの靴)
川には反射した天国(水色の街)が映っています。
彼女に会うため水色の街が写る川に足を踏み入れます。
何ども川の流れに足元を奪われてバランスを保てなくなりつつも(間違えたステップ)彼女に会うため必死に渡っていきます。
しかしとうとう力尽きて川の流れに飲み込まれてしまいます。
川の先は地獄。
彼女にもう会うことができなくなった主人公は、川に飲まれながら彼女のいる天国を見つめていた -
水色の街のメッセージ
本来ならば死に別れた彼女とは天国でまた会うことができたはずでした。
しかし主人公が罪人であったために川を直接渡ることになり、最後は流されてしまい彼女とは二度と会うことができなくなりました。
自分が作った罪によって地獄に行くことになって、彼女に会えないという大きな苦しみを味わうことになりました。
自分の行いがそのまま自分に帰ってくる。
まさに因果応報です。
自分の行いは死んでからも自分に帰ってくるし、それは生きている時の何倍も大きな苦しみです。
だから正しい考えをもって正しい行動をして生きていかないといけないよ、っていうふうにぼくは解釈しています。
まとめ
どうでしょうか?
個人的にはしっくりきます。
スピッツの歌詞は何通りにも解釈できる奥深さがあって、聴く人によって全然違う曲にもなります。
自分なりのスピッツを作り上げてみるのもおもしろい聴き方ですよ!
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