こんにちは、リュウです。
とにかく面白い小説を読みたい気持ちが高まってきたので、今回かなりの超大作に手を出してみました。
それがかつてアメトークの「読書芸人」でも紹介された『教団X』です。
突然自分の前から姿を消した女性を探し、楢崎が辿り着いたのは、奇妙な老人を中心とした宗教団体、そして彼らと敵対する、性の解放を謳う謎のカルト教団だった。
二人のカリスマの間で蠢く、悦楽と革命への誘惑。四人の男女の運命が絡まり合い、やがて教団は暴走し、この国を根幹から揺さぶり始める。
神とは何か。運命とは何か。絶対的な闇とは、光とは何か。著者の最長にして最高傑作。
(Amazonより引用)
作者の中村さんは2005年に芥川賞を受賞している方であり、この小説は純文学に当たります。
ぼくは純文学は読んだことがないしどういうものなのかも理解していないですが、少なくとも一般的なエンタメ小説と比べるとかなり難解で読みにくい作品ではあります。
しかも600ページほどあってクソ分厚いです。
そんな作品ですがかつてアメトークの「読書芸人」で又吉と若林が『10年に一度あるかないかの作品』なんて紹介したもんだから瞬く間に18万部も売れてしまいました。
絶賛するのは分かるんだけど、あの二人もどうしてこれを読書芸人で紹介したのか。。。
読んでみれば分かりますがこの小説は万人受けする内容ではありません。10人読んだら面白いと感じるのは多くても2人くらいでしょう。
実際、読書芸人の絶賛と売り上げに反してAmazonのレビューは低評価がつきまくっています。しかも星ひとつが多い。
ザっと読む限り「性描写が多い」「何を言いたいのか分からない」「登場人物が魅力的じゃない」みたいなレビューが多かったです。
実際に読んだぼくとしてはこんな意見が出るのも分かります。
しかしはっきりいってこういう意見を言っている人は、この小説の読み方を間違えているとしか思えません。
では「教団X」はどういう視点をもって読んでいけばいいんでしょう?
そのことについて感想をまじえながら書いていきます。
性描写が多い?これがぼくたち人間の本性です

まず1番多い意見である性描写の多さですがこれは批判のとおりかなり多いです。
しかもちょっとエロいレベルじゃなく、かなりリアルで生々しく性に狂った姿が描かれています。
一人の女性を抱いて夢中になっていたのに別の女性を抱いたとたんその女性のことしか考えられなくなっていたり、集団レイプのようなシーン、ポルノシーンといった性描写も出てきます。
これでは読者が拒絶反応を示してもしょうがありません。
ぼくは何も知らずにこの小説を読み始めて、最初のころは「何なんだよこのエロ小説は。。。」って思いました。ここまでやる必要があるのかと。
しかし読み進めていくうちに気づきました。
これはぼくたち人間の本当の姿を描いているだけなのです。
人間の欲の中で特に強い”五欲”とは
物語には仏教の話がよく登場するのですが、仏教では人間には108の煩悩があってその中でも特に強い5つの欲があります。
- 財欲(お金がほしい)
- 色欲(異性を求める=性欲)
- 食欲
- 名誉欲(承認欲求)
- 睡眠欲(楽をしたい、苦しみたくない)
仏教ではこれを五欲と呼んでいます。
身も蓋もないことをいうとぼくたちが彼氏・彼女がほしいと異性を求めるのは性的なことをしたいという思いからです。
さらにいえばそれは1人いればいいわけではなく、男性は特に複数の相手を求めています。
最近不倫が異常にバッシングされるのはみんながやりたいと思っていることをやっていることが羨ましいからでしょう。
人には「理性」というものがありますし、現在では性犯罪に関する法律もあります。
それに性犯罪は特に世間から軽蔑の対象として見られますから、全くなくなることはないにしても大多数の人は性犯罪を犯すことなく過ごしています。
ですがもし「理性」も「法律」もなかったら?
魅力的な異性がいて性的なことをしたいと自分が思って、それが許される環境であったら?
自分の思うがままに性を開放してぶつけることを相手も拒否しないのだったら?
物語の人物のように我を失って性の快楽に溺れてしまうでしょう。
つまりみんなが拒絶反応をしめしている性描写は、ぼくたち人間の誰もが抱えている”性欲”を包み隠さずそのままの姿でむき出しにしているものなのです。
こんな姿がぼくたち人間の本来の姿だなんて思えるはずもありません。しかしこれは紛れもない事実。
性犯罪者はある意味正常だと言えるし、ぼくたちが性に狂うことなく過ごせているのは運がいいだけのことです。
醜さの象徴である登場人物

性描写が特に強烈ですが、『教団X』でむき出しになっているのは性欲だけではありません。
そもそもこの小説は、とある宗教団体とカルト教団をめぐる物語。
『教団X』とはこのカルト教団の呼び名です。
教団Xには社会から弾かれた大勢の人間が信者になっています。
中には強制的に連れてこられたような人もいるのですが、教祖である沢渡(さわたり)の”人を引きつける力”は強大。
最終的にはみんな何の抵抗もなく信者になってしまうんです。
信者はみんな社会には居場所を見つけられなくなっているため、自分の存在を肯定してくれる教団を唯一の居場所としています。
彼らは教祖が死ねば全員集団自殺するほどに崇拝していて、沢渡のためであればどんな犯罪行為も行うほどです。
こういった信者の姿からは人間の”承認欲求”がにじみ出ています。
また、信者たちは社会で挫折などの苦しんだ経験もあって、その苦しみを二度と味わいたくないという思いも抱えてます。
ここには”睡眠欲”(楽をしたい、苦しみたくない)も隠れています。
物語はこの教団を中心に進んでいきますが、描かれるのは教団の中と外の社会なんていう狭い範囲には留まりません。
イデオロギー、死生観、貧困問題、戦争など、物語は日本だけでなく世界規模にまで拡大していきます。
貧困と戦争が”食欲”を描いているのは何となく想像できるでしょう。しかし実は貧困と戦争では”財欲”についても描かれています。
今も世界中で貧困問題や戦争が消えることなく起きていますが、その裏では貧困や戦争を通して大国の企業が大儲けしているという現実があります。
貧困や戦争がいつまでたってもなくならないのはそれ自体がお金を生むということが原因のひとつとしてあります。
人はお金のためであれば国家レベルで人を殺すことを厭わないし、それを何らかの理由をつけて正当化するのです。
こんなにも人間に醜い部分をむき出しにしているのだから、登場人物も自ずとどうしようもないやつばかりになります。
ここまで教団の信者や教祖のことばかり書いていましたが、信者でない登場人物にもろくなやつがいませんし共感も出来ないでしょう。
むしろこんな物語で魅力的な人物がたくさん出ていたら不自然だし、物語の軸もブレてしまいます。
だから登場人物が魅力的でないのは当然のことです。
それでも人間、そして生きることは素晴らしい

『教団X』は徹底的に人間の醜さを描いていてそれが終わる直前まで続いています。
読んでいて気持ちのいい話ではないし600ページあまりに大作ですから、読み終えることなく離脱した人が多かったんじゃないでしょうか。
ぼくは『教団X』の内容に混乱し、恐怖し、驚き、怒り、悲しみました。様々な感情に心をかき乱されながらも一体どんな結末を迎えるのかが気になるどんどん読み進めてしまいます。
そして読み終えたぼくの中に「人間という存在、生きるってことはなんて素晴らしいことなんだろう・・・」という感動が押し寄せ、涙ぐんでしまいました。
それと同時にこれだけの作品を生み出した中村文則さんに感嘆の念が沸きました。読書芸人の二人がいう「10年に一度あるかないか」の作品だというのも納得です。
ですが最初に書いたとおり万人受けする作品ではないし、読んでいて気持ちのいいものではありません。
少なくとも自分を善人だと思っている人に『教団X』の凄さは分からないでしょう。
人間のすべてを知る覚悟があるなら読む価値は十分あります。