吹奏楽界で神様と呼ばれている先生。
それが現在九州情報大学吹奏楽部で音楽監督を務めている屋比久勲(やびくいさお)先生です。
中学、高校、そして現在の九州情報大学のそれぞれで全国大会出場を果たしていて合わせて32回全国大会に出場し全国金賞を14回受賞しています。
しかし屋比久先生が神様と呼ばれるのはこの成績だけが理由ではありません。
最も特徴的なのがまったく怒らないということ。
吹奏楽コンクールで全国大会に行く学校は厳しい指導が多いんですが、屋比久先生は生徒がうまく吹けなくても決して怒らない。
そんな指導をしてすばらしい演奏を作り上げていることから”吹奏楽の神様”と呼ばれています。
- 怒らない指導ってどんなもの?
- どんなことを考えて指導しているの?
- どうしてそれで結果が出せるの?
吹奏楽指導だけでなく、仕事のうえでも活かしていける指導の理想的なあり方がこの本にありました。
まったく叱らない吹奏楽指導
屋比久先生が全く怒らないのは教員になったときに母親からの教えがきっかけです。
「もともとできの悪い児童はいない。それをつくってしまったら、それは、あなたのせいですよ」と、小学校の教員になった頃の屋比久は、母親に言われ続けたそうである。
自分が思い描いているとおりに上達していってくれればいいですがなかなかそうはいきません。
思うようにできてくれないとどうしても強い言い方で叱りたくなりますし、なかなかできるようにならなければ叱るというのは常識的なことでしょう。
しかし生徒ができるようにならないのは果たして全て相手の問題なのでしょうか?
そうではありません。
生徒ができるようにならないのは指導の仕方が悪いからです。
もちろん物覚えの早い人もいれば悪い人もいて、同じ教え方をしても上達に差が出ることはあります。
それも相手の理解の早さに合わせて教えることができなかったという、教える側の問題があります。
上達が早いのも遅いのもすべて自分の指導の結果なのだから、むしろ怒るほうがおかしいのです。
「叱って『できる』はもたない。叱りすぎると(生徒や学生に)<裏>ができてしまう。そして『させられている』という気持ちが主となる。そうではなく、本人のその気を待つ。『やらなければならない!』を『やりたい!』という気持ちを待つ」
これは屋比久自身が語ったことである。
好きで始めた吹奏楽でも叱られ続けていると嫌になってしまいます。
それでうまくさせることはできるかもしれませんが短期的なものですし、吹奏楽そのものが嫌になってしまいます。
厳しい指導を受けて全国大会に出場しても、その後楽器をやめてしまう人がたくさんいます。
全国大会で金賞はとれるけど3年、もしくは4年しか続けられない演奏法です。
それって意味があるのでしょうか?
自分からやりたいと思ってやることは何でも楽しいです。
ぼくは楽器は楽しんで上手くなるのが1番だと考えているので、屋比久先生のやり方は理想的だと思います。
穏やかで静かな合奏
怒らない指導なのだから当然合奏でも、ミスをしたからどなられるということはありません。
全国大会に毎回のように出場する学校だとできないところがあったら怒ってできるようになっていたら無言、という形が多いですが屋比久先生は逆です。
できるようになった・よかった場合は「とてもいい音が出るようになっているよ」など直接伝え、よくなかった場合は無言です。
そのほかにも全国大会に出場する学校の練習とは思えないことがあります。
筆者が訪れていたその日は、九州大会を間近に控えているにしては心配になるような箇所が多々見受けられる演奏となった。屋比久はそれでも、その穏やかさそのままに淡々と、その時最も気になることだけを指摘し、部分的にやり直していた。(中略)
驚くのはそれだけではなく、その日の練習はまもなく終了というのだからさらに驚いた。なんということだ。これで終わり?
仮に私が指導者だったなら、まだまだ明るいのだからできる限り練習を続けていたことだろう。そして練習終了となったときも「明日までにはそこのところ、できるようにしておきなさいよ」くらいは言うだろう。
だがそんなことを、屋比久は何も問題にしていない様子だった。
え~っ!こんなのまるで社会人吹奏楽団じゃないか!
こういう練習で全国行ってるの?
日が明るいうちに練習が終わるのだから、練習時間もかなり少ないと思われます。
ぼくが高校で全国大会を目指していたときは、コンクール近くは夜21時まで練習してたのに。。。
屋比久先生の指導でコンクールに出る生徒たちは、ほとんどストレスなく伸び伸びと音楽ができているんでしょうね。
いやー、これは驚いた。。。
コンクールに出るのは何のため?
九州情報大学吹奏楽部の本格的な活動開始は発足から2年目。
ぼくはコンクールで実績のある屋比久先生が音楽監督なんだから当然コンクールに出場する方向で進んでいたのだと思っていました。
しかし実際にはコンクールに出るかで部内が割れた時期があったようです。
大学生だから高校までと違いバイトとの両立も大変ですし、出るにしてもこのレベルで出たくないという意見もあったようです。
屋比久先生はそれぞれの意見に耳を傾けつつ、このように伝えました。
「コンクールは勝負ではない。でも、出場しないと世の中に認められない。例えば、町の人も、いつまでも君たちの存在を知らない。」
ぼくは高校の時全国大会を目指す吹奏楽部にいました。
ぼくが3年生でコンクールが近くなった時、レッスンにこられた先生がぼくたちに「全国大会にいきたい?」と聞きました。
「いきたいです!」と同級生のひとりが即答しましたが「全国大会にいってどうするの?」と聞かれたらみんな黙ってしまいました。
全国大会を何のために目指すのか、誰一人分からなかったんです。
あれから7年たった今でもこの答えは見つかっていません。
ですが屋比久先生の言うようにコンクールで演奏することが世の中の人たちに知ってもらうきっかけになっていることは事実です。
まったく知らない団体の定期演奏会に行こうとはなかなか思わないですし、コンクールに出ないと活動の幅は狭くなりそうです。
だからやっぱり吹奏楽コンクールは、吹奏楽の発展に大きな意味を持っているのだと思います。
ただ今はコンクールが勝負になっているような印象があります。
音楽はスポーツと違って勝ち負けがあるものではないし、金賞を目指すのはいいですがそればっかりになるのは違うと思います。
屋比久は次のように語った。「県大会に向けてまず頑張る」「県大会を抜けたら、それに満足できなくなって、地区大会に向けてもっと頑張る。事実上ここがピークになる」「地区大会を抜けたら、全国大会はメンバーへのプレゼント。それでよい(結果は関係ない)」
全国大会に出たらそりゃ金賞をとりたいと思うでしょうが、全国大会で演奏できるだけで十分すぎる結果だし賞はオマケくらいの考えで十分だと思います。
もう何人もの人がいっていますが、コンクールにいたるまでの過程が大事なんですよね。
ぼく自身学生のころは納得できませんでしたが、卒業してからはこの言葉の意味が分かってきました。
まとめ
叱らない指導をしているのは知っていましたが、どんな考えでやっているのかまで屋比久先生の考えを詳しく知ることができました。
吹奏楽やってるぼくとしては一度屋比久先生の指揮で演奏してみたいものです。
吹奏楽部を指導している人はもちろんのこと、部下などにうまく教えられなくて困っている人は読んで参考にしてみてください。
(追記)
2019年2月13日、屋比久先生は80歳で亡くなられました。
まったく怒らない指導方法はまさに理想的で、誰もがお手本にすべきものだと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。