こんにちは、リュウです。
ここ数年映画館でアニメばっかり観てます。
映画になるアニメってどれも面白そうなんですよね。
前月末からまた面白そうなアニメ映画が上映されています。
「さよならの朝に約束の花をかざろう」
通称”さよ朝”です。
「あの日見た花の名前をぼくたちはまだ知らない」の岡田麿里さんがはじめて監督として手掛けた作品です。
(今までは脚本のみ)
こういうことを安易に言いたくないんですが…
控えめに言って最高。鳥肌がたちました。
まだ観てないんですか?
一刻も早く観てください(>_<)!
「さよならの朝に約束の花をかざろう」あらすじ

縦糸は流れ行く月日。横糸は人のなりわい。
人里離れた土地に住み、ヒビオルと呼ばれる布に日々の出来事を織り込みながら静かに暮らすイオルフの民。
10代半ばで外見の成長が止まり数百年の寿命を持つ彼らは、“別れの一族”と呼ばれ、生ける伝説とされていた。両親のいないイオルフの少女マキアは、仲間に囲まれた穏やかな日々を過ごしながらも、どこかで“ひとりぼっち”を感じていた。
そんな彼らの日々は、一瞬で崩れ去る。
イオルフの長寿の血を求め、レナトと呼ばれる古の獣に跨りメザーテ軍が攻め込んできたのだ。
絶望と混乱の中、イオルフ一番の美女レイリアはメザーテに連れさられ、マキアが密かに想いを寄せる少年クリムは行方不明に。
マキアはなんとか逃げ出したが、仲間も帰る場所も失ってしまう……。虚ろな心で暗い森をさまようマキア。そこで呼び寄せられるように出会ったのは、親を亡くしたばかりの“ひとりぼっち”の赤ん坊だった。
少年へと成長していくエリアル。時が経っても少女のままのマキア。同じ季節に、異なる時の流れ。変化する時代の中で、色合いを変えていく二人の絆――。
ひとりぼっちがひとりぼっちと出会い紡ぎ出される、かけがえのない時間の物語。
ざっくりいえば、10代の見た目のままで数百年生きる一族「イオルフ」の女の子マキアが、盗賊に親を殺された赤ちゃんを母親として育てていく話です。
ファンタジーらしく王が血を求めて一族を襲ってきたり物語の最後には戦争になったりもしますが、正直ファンタジー要素は物語の本質にはそんなに関係ありません。
イオルフの民は数百年の寿命を持っているということを理解しておけば大丈夫です。
マキアには親がいないから母親がどういうものなのか分からないし、10代のまま見た目が変わらないので周囲から奇異な目で見られ、生きていくことにも苦労します。
さらにマキアは数百年の寿命をもつので、本当の子どものように育てたエリアルは自分より先に死んでしまいます。
マキアは一族の長老から「外の世界で出会いに触れたなら誰も愛してはいけない。愛すれば本当の一人になってしまう」と言われていたのは、この命の時間の違いによってみんな先に死んでしまって別れが大きな苦しみになるからです。
母親ってどんなもの?
自分は母親としてエリアルを守れるのか?
たくさんのことに悩みながらもエリアルのために強い母親であろうと、自分自身とエリアルと向き合っていきます。

「さよならの朝に約束の花をかざろう」の感想
映像、音楽が素晴らしい
まず最初に感じたのは絵がものすごくキレイだということ。
キャラクターはもちろんのこと背景がハッとさせられるほどキレイで、異世界の背景なのに現実の世界を見ているかのようです。
「君の名は。」の絵もキレイでしたがあれは現実世界を描いていたので、質の違うキレイさです。
そして音楽が映画の世界観を引き立てています。
音楽が与える影響ってほんとうに大きくて、音楽しだいで感動が薄れたより強くなったりもします。
さよ朝の音楽は物語に溶け込んでいるような感覚を覚えさせられる柔らかい音楽で、物語の世界観を演出しています。
最近のアニメの絵は立体的で、実在の風景を見ているかのようです。
どうなってるんでしょう、いったい(^^;
ガチで体が震えるほど感動した
よく感動で震えるなんていうじゃないですか。
それを聞くたび「おいおい、大げさすぎるだろ」って思ってましたが、ぼくはこの映画を観て体がブルっと震えて涙が溢れてきました。
震えるほどの感動ってもののたとえじゃなかったんですね。。。
ネタバレしない程度にいうと最後にマキアが今までエリアルとしてきた約束をやぶるシーンです。
映画観た人ならこの気持ち分かってくれるんじゃないかな?
ごめんね、エリアル・・・
約束・・・やぶっちゃう・・・!
いや、もう十分だから。
あの状況なら約束やぶってもしょうがないから・・・!
親子の愛とは違うものを感じた
この映画はマキアとエリアルの血がつながっていない親子の話です。
マキアはエリアルの幸せだけを願って生きていて、それがマキア自信の幸せでもありました。
だから映画で描かれているのも親子愛だとは思うんですが、ぼくには二人の関係が親子とは違うもののように思えました。
マキアはエリアルを守ろうとしているし、逆にエリアルもマキアを守ろうとしていました。
この守りたいという感情は親子のものとは違うし、恋人同士の恋心とも違う印象です。
二人の間には確かな愛がありましたがそれは親子とか恋とか、そういうものではないと思うんです。
もっと大きな愛、それこそ無償の愛のような。
そんなものを二人はお互いに持っていました。
マキアだけなら無償の愛=親の愛情でかたづくんですが、エリアルも同じくらいの気持ちをマキアにたいして持っているように感じました。
「この二人の関係はなんだろう?」とずっと考えていましたが、的確な答えが見つかりません。
誰か二人の関係の名前を教えてください←
いつか別れる。だから出会いには意味がある
エリアルとずっと一緒にいたいと願ったマキアですが、二人には別れがやってきます。
その別れはもちろん悲しいものですが、決して悲しいだけのものではありませんでした。
いつかみんな死んでしまうもので、そうなれば永遠の別れがやってきます。
すべての出会いの先には別れがあります。
ぼくはまだそんなに死による別れを経験してませんが、それがはかりしれない苦しみだってことは想像がつきます。
ではもし出会いの先に別れがなかったとして、それは幸せなことなんでしょうか?
それは違います。
いつか失う、別れると分かっているからこそ出会いや時間を大切にすることができます。
失うことも別れることもなかったら、それがあることが当たり前になるんですから大切にしようという気持ちはわきませんよね。
人との出会いも同じです。
必ず別れがあるしその時にはとてつもない悲しみがやってきます。
でも別れはただ悲しいだけじゃなく、今までの時間にたいしての感謝の気持ちもわいてくるものです。
別れは悲しいものですが、感謝の気持ちによる幸せな別れもあります。
いつか失う、別れる。
だからこそ人と人は出会うことに意味があるんです。
この映画を観て、そんなことを思いました。
すべてのものが愛おしくてたまらなくなる
映画を観終わって立ち上がった後、ふと思い客席を振り返ってみました。
ぼくは普通は映画の後はすぐに外にでるんですが、さよ朝を観た他のお客さんがどんな表情をしているか観てみたくなったんです。
あんまり凝視しているのもあれなんで少しだけ様子を見ましたが、泣き笑いの表情ですすり泣いているお客さんが何人もいました。
映画館の外に出てもたくさんの人が、赤い目になりつつも笑顔で映画のことを話していました。
よかった、ぼくだけが感動してたわけじゃないようです。
帰ろうかと思ったところでなにやら違和感を感じました。
「あれ?なんだか周りの風景が今までと違って見える・・・」
周りには家族連れやカップルや友達同士と思われる人がたくさんいましたが、その人たちを見ていると「みんなそれぞれ大切な人生を生きているんだな」と、感慨にふけっているぼくがいました。
今自分が目にしているものすべてが当たり前にあるものじゃないんだということを強く感じて、ただただありがとうという気持ちになりました。
そんなことを考えていたらまた涙が出そうになりました。
ぼく、ちょっと危ないかもしれないですね 笑
観てよかったと思える映画
上映館数が76館と少ないですが、満足度が高いようで93館に拡大されることが決まっています。
これをきっかけにさらにたくさんの人に観てもらえることを願ってなりません。
観てよかったと思えるいい映画です。
この映画を作ってくれてありがとうございました!







