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2つの吹奏楽団に所属するTuba吹き。富山県在住。音楽を演奏するのも聴くのも好きな「no music no life」な人間。スピッツファン歴は12年。小心者でビビリながらも興味のあることは何でもやってみるタイプ。

スピッツ「青い車」は心中の歌なのか?歌詞の意味を徹底考察

こんにちは、スピッツファン歴12年のリュウです。

 

スピッツの「青い車」という曲を知っていますか?

1994年にリリースされた9枚目のシングル曲で、スピッツファンにも人気の高い曲です。

 

 

夏を連想させる曲ですが、実はこの曲にはとある歌詞解釈があります。

それは恋人を殺して無理心中しようとしているんじゃないかというものです。

 

スピッツは「セックスと死」をテーマに曲を作っています。

だからこそ心中や自殺といった死に結びつける歌詞解釈がたくさんあります。

 

しかし本当にそういう曲を歌っているのでしょうか?

少なくとも「青い車」は絶対に違います。

 

スピッツの歌詞はなぜか死のほうに偏った解釈がされがちです。

この記事では生きることを意識した解釈をしていきます。

 

冷えているのは「僕の手」 

歌詞を順番に見ていきます。

 

冷えた僕の手が

君の首筋に

噛み付いて

はじけた朝

 

この歌詞で問題になっているのは「首筋に噛み付いて」のところです。

「僕の手」が首筋に噛み付くというのが「首を絞めている」のだと解釈されています。

 

ですがよく見てもらいたいのは「冷えた僕の手が」です。

冷えているのは「僕の手」のほうなので、首は温かいということです。

そして冷えた手が首筋に噛み付くのですから、「僕の手」は首に噛み付く前から冷えています。

 

ではいったいどうして手が冷えているのでしょうか?

青い車には「真夏の風を吸い込めば」という歌詞があるので、この曲のストーリーは夏が舞台です。

 

夏は暑いのに手が冷えている。

考えられるのは・・・

「手を洗うなどして冷たくなった手で彼女の後ろから首筋を触って驚かせている」です。

 

歌詞では”噛み付いてはじけた朝”となっていますが、これは冷たい手で首を触られて「ひゃっ!ちょっとやめてよ~!笑」みたいになって二人で笑いあっているということ。

 

意味としては「カラオケに行ってみんなでは弾けた」みたいな意味で、物ではなく気持ちが弾けたことをあらわしています。

つまりみんなが心中を連想する歌詞はただ単に朝から恋人といちゃついている超リア充な場面を歌っているわけです←

 

そもそも恋人の首を絞めて殺していると考えるとかなりおかしいところがでてきます。

それがこの後サビの直前に出てくるこの歌詞。

 

シャツを着替えて出かけよう

 

なんで彼女を殺した後にシャツを着替えているんですか?

首を絞めてるんなら返り血なんてないですし、人殺したあとに着替えをするなんてのんきにも程があります。

「彼女を殺してぼくも死ぬ!」っていうんならその場で死ぬのでもいいし、わざわざ外にいく必要もありません。

 

しかもこのあと「君の青い車で」海に行こうとするんです。

もしかしたら自分の車を持っていないのかもしれないですが(笑)、だったら彼女の車を使ってまで海に行って心中しようとするのは不自然ですし、朝なんだからバレる危険性も高いです。

 

「シャツを着替える」というフレーズは、曲の舞台が夏であることを聴き手にイメージ指せるためのフレーズです。

実際「夏」という言葉が出る前から、この曲には夏のイメージを抱かされます。

 

だから冒頭の歌詞は、恋人といちゃついている場面と解釈するほうが自然です。

そもそも冒頭から恋人を殺す曲って・・・

スピッツを快楽殺人者にでもしたいんですか?

 

「輪廻の果てに飛び降りる」とは?

次の死を連想する歌詞がこれ。

 

そして輪廻の果てに

飛び降りよう

終わりなき夢に

落ちていこう

今変わっていくよ

 

輪廻。なんとも暗い言葉ですね。

そもそも輪廻はいったいどういうものでしょうか。

 

輪廻とは: 生きかわり死にかわりすること。車輪が回転してきわまりがないように、霊魂が転々と他の生を受けて、迷いの世界をめぐること。

 

この説明だと「輪廻転生」を思い浮かべるのではないでしょうか?

輪廻という言葉はだいたいこんな感じで認識されています。

でも本当の意味を詳しく知っていくと、思っているのと違うことが分かってくるんですよね。

 

輪廻は、魂が生まれることと死ぬことを繰り返すことです。

仏教では人が死んでなくなるのは肉体だけで魂は生きていて、再び輪廻の中に戻っていくとされています。

 

輪廻は死んでも終わることなく繰り返します。

つまり”輪廻の果て”なんてものは存在しません。

 

しかし輪廻の果てに飛び降りよう、と言っています。

輪廻に果てなんてないんですから、これは輪廻から抜け出すという意味になります。

 

お釈迦様は生きることは苦しみであり、生きることを繰り返す輪廻のなかにいることは苦しみだと考えました。

だから苦しみである輪廻のなかから抜け出すことを仏教では目指しています。

 

そのためには悟りを開くことが必要なんですが、長くなるのでこの記事ではふれません。

興味があったらこの記事も読んでみてください。

悟りとはどんなものかを超科学的に解説 - 満喫ぶろぐ

 

 

輪廻から抜け出したならもう別の生き物に生まれ変わることもなく、今の自分たちのまま二人で一緒にいられます。

「永遠に一緒にいたい」みたいなことを歌った曲がよくありますが、青い車で歌われているのも同じことです。

ただ肉体的なものではなく魂レベルで結ばれることを望んでいます。

 

こう考えると「終わりなき夢に落ちていこう」の意味も見えてきます。

輪廻のなかから抜け出すことが出来た場合、極楽に行くことできます。

ここは喜びだけがある世界で、住む人の寿命も永遠です。

 

輪廻を抜けて苦しみのない世界で永遠に二人で一緒に生きることが「終わりなき夢に落ちていこう」の本当の意味です。

 

恋人は「つまらない宝物」

 

愛で汚された

ちゃちな飾りほど

美しく見える光 

 

これは「君」との二人の関係を表しています。

世界の中でいえば、たかが二人の存在なんてちっぽけで飾りみたいなものです。

恋愛だって二人の間ではものすごく幸せで特別なものに思えますが、それはみんな同じようにやっていることで別に特別ではありません。

しかし当の本人たちにとってはこれ以上ないきれいなものです(=美しく見える光)

 

 

つまらない

宝物を眺めよう

偽者のかけらに

キスしよう 

 

好きな人というのは関係ない人から見ると「ただの他人」であって、そこまで特別なものではありません。

しかし恋人にとっては大切な存在。

 

つまらない宝物とは「他の人にはそこまで特別じゃないけど、自分にとっては大切な恋人」のことをあらわしています。

 

前述したように人が死んだら肉体がなくなりますが、魂は残ります。

今見ている恋人の姿は現世だけのもので、死んだらなくなってしまうものです。

つまり恋人の姿は偽者なわけです。

本当に求めているのは魂レベルで結ばれることなんですが、現世では無理なので偽者の姿にキスしています。

 

簡単にいえば「恋人を見つめ、キスをする」っていうことなんですが、こんな短い言葉の中にとてつもなく深い意味が込められています。

なんて奥行きがある歌詞なんだ。。。

 

「青い車」と「海」はどういうことなのか?

 

君の青い車で

海へ行こう

置いてきた何かを

見にいこう 

 

この曲の中で特に重要な意味をもつのが「青い車」と「海」。

 

まずなんで「青い車」なんでしょうか?

輪廻とも関係があるので仏教で考えてみます。

 

仏教において青は、ブッダの髪の色である定根(じょうこん)というものをあらわす色でもあります。

別の言葉でいうと禅定(ぜんじょう)です。

これは心を明らかにして悟りを開くための修行法のことで、輪廻を飛び降りて喜びだけの世界にいくために必要なものです。

 

そして車は移動するのに使うものであり、さらには「君の青い車」です。

これは君と一緒に喜びだけの世界を目指して生きていくことを意味しています。

 

 

では「海」はいったいなんなのでしょう?

これは比喩表現を使っているのであって、ほんとうの海をあらわしているわけではありません。

 

海は命の源だと言われています。

地球の歴史は46億年ですが、そのうち30億年はすべての生物が海の中で生きていました。

命の生まれた場所が海なんです。

 

人は生まれた瞬間から死に向かいはじめ、死んだあとは魂が輪廻のなかに戻っていきます。

「海」は輪廻転生をあらわす歌詞で、これが「輪廻の果てに飛び降りる」という歌詞につながっていきます。

輪廻には行くけど、そこから飛び降りて喜びだけの世界に行くってことです。

 

青い車で歌われていることは心中どころか、ほんとうの意味での永遠の愛を求めて一緒に生きていこうとする奥深いラブソングです。

 

まとめ

マサムネさんは曲の意味について話さないのは聴き手の解釈に任せているからです。

だから心中の歌と解釈するのも間違いじゃありません。

 

でもぼくはその解釈があまり好きではないため、別の見方がしたくて今回の記事を書きました。 

聴き手によってどんな意味にも変わるスピッツの曲のひとつの解釈として楽しんでもらえれば幸いです。