満喫ぶろぐ

2つの吹奏楽団でTubaを演奏する楽器歴10年目。富山県在住。スピッツはたぶん一生好き。小心者でビビリながらも興味のあることはいろいろやってみるタイプ。

友達が増えてもさびしさはなくならなかった。

f:id:rsp4690:20170314201143j:plain

ぼくは昔から人付き合いが苦手でコミュニケーションができない男でした。

自分から声をかけるなんてことはできないので友達も全然できず、さびしく生きていました。

 

もっと人と話せるようになりたい。

その一心で努力をしていった結果、コミュ症なりにも コミュニケーションがとれるようになってきて友達も増えてきました。

 

昔のぼくは友達ができればさびしさがなくなると思っていたのですが、いざできてみると結局さびしいままでした。

 

どうしたものか考えてみたところ、結構根深い原因があることに気づきました。

今日はそんなお話です。

 

さびしさは変わらない。むしろ・・・

すでに書いたとおり友達ができてもさびしいままです。

むしろ食事や遊びに行ったあとに分かれるときのさびしさを感じることが増えたので、今のほうがさびしさを感じるようになってきました。

 

ひとりでいても誰かと一緒にいても結局さびしいまま。

どうもぼくのさびしさの原因は別にあるようです。

 

自分はつまらない人間だ

ではどういうときにさびしさを感じるのか。

ひとりでいるときに感じるのはもちろんのこと、みんなで話しているときもさびしさを感じます。

 

たとえばぼくによく話しかけてくれるAさんがいるとします。

会えばたいてい話しかけてくれるのに今日は話しかけてくれない。そして別の誰かと話している。

そんなときぼくの心の中には「Aさんはぼくに興味がないんだな」という考えが浮かんできます。

 

こうして文章にしてみると自分でもおかしなことを考えているなと思います。

でも頭で分かっても心がごねるという感じで心の底からわきあがってくるので抑えることができません。

 

そしてなぜ話しかけられないくらいで興味がないと考えるのかというと、「自分はつまらない人間で価値がない」と思っていることに気づきました。

 

ぼくが人に声をかけられないのも同じ理由です。

つまらない存在のぼくに話しかけられても困るだろうと無意識に考えています。

 

楽しく話しているように見えても心のどこかでつまらない人間であるぼくを隠そうとしています。

自己肯定感を高めたつもりでしたが、そんなに変わってなかったようです。

 

ぼくは自分勝手になる

昔こんな記事を書いていました。

何も出来なくても迷惑かけても愛されるから努力やめます - 満喫ぶろぐ

 

4ヶ月前にこう考えていたのに結局苦しいままなので、なかなか進歩しないものですね

 

今考えるとこの記事の「努力やめる」っていうのも受身な気持ちなんですよね。

別に今のままでいいじゃん、というあきらめに似た気持ちがありました。

 

だからもっと前向きな考えを足していこうと思います。

今後は「自分の思ったことを言えば言うほど愛されるから、好かれようとせず言いたいことをどんどん言う」ことをめざします。

 

結局のところ人がどう思っているかなんて分からない。

だからもう好かれていることにして言いたいことばっかり言って自分勝手に生きてもいいんじゃないかと思います。

もちろん怒らせるようなことは言いませんが(^^;

 

まとめ

こういう記事を書くのは久しぶりです。

というのも自分のことを書くのがなんだか嫌になってきていました。

これもつまらない人間だと思っていたことが原因だと思います。

 

もういっそつまらない人間のぼくに興味を持たせてやる!くらいの気持ちで接するくらいがぼくにはちょうどいいかもしれません。

もっと自分の気持ちに素直に。自分でしていたフタを空けていきます。