満喫ぶろぐ

2つの吹奏楽団でTubaを演奏する楽器歴10年目。富山県在住。スピッツはたぶん一生好き。小心者でビビリながらも興味のあることはいろいろやってみるタイプ。

なんで20代のぼくが仏教を2年半も学んでいるのかっていう話

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仏教というとお年寄りが聞くものってイメージがあります。

しかし実際には20代で学んでいる人も多いです。

ぼくもその一人でして学びだして2年半ほどになります。

 

20代で学ぶ人は大学の先輩に声をかけられたとか親の影響が多いんですがぼくの親は無宗派だし、ぼくは大学に行っていません 笑

 

そんなぼくがどうして学んでいるんでしょうか?少し振り返ってみようとおもいます。

 

「楽しければOK」←そんなことなかった

ぼくと同世代の人は「20代を楽しむ」とか「楽しければOK」ということをよくいいます。

ぼくも同じで、楽しく生きるために何をすればいいかを考えていろんなことをやってみました。

 

ぼくは中学高校で吹奏楽部に入っていて、今も楽器を続けています。

ぼくにとって楽器は楽しいことなので楽器をやる時間を増やしたくて2つの吹奏楽団に入りました。

 

楽しくやっているのですが人間は欲深いもの。

最初のころは楽器を吹くだけで楽しかったのにその気持ちも薄れてきます。

どんな曲でも楽しめていたのに「この曲つまらん」と不満をもちだします 笑

楽器を吹くという楽しさは続きませんでした。

 

ぼくは楽しいことをやっていれば充実した人生になるとおもっていましたが、「どうもそれだけじゃダメっぽいぞ」と感じるようになりました。

 

とあるランチ会に参加

当時のぼくは興味を持ったことはとりあえずやってみよう、行ってみようと考えていました。

人との出会いを増やしたかったので異業種交流会に行ってみようとおもい、ちょうど次の日に開催されるあと1人で定員のランチ会があったので参加することにしました。

 

そのランチ会は仏教を学ぶサークルがやっているもので、カフェで仏教を学ぶイベントも開催されていました。

じはらくはそのことに気づいておらず、ランチ会に2回顔を出したころに分かりました。

 

そして参加していた人に仏教勉強会に誘われたので「暇だしだし行ってみるか」くらいの気持ちで行くことにしました。

 

お経は死んだ人に読まれているのではない

勉強会に行くまでのぼくは仏教っていう言葉自体よく知らないくらいで、一般的に宗教と考えられていることすら知りませんでした。 

ぼくは「神を信じれば救われる」っていう考えが大嫌いだったので宗教だとおもっていたら行ってなかったかもしれません。

(ちなみに仏教神様は殺人者と教えられています)

 

勉強会では仏教講師の方が話しておられました。

分かったのは仏教とは永遠の幸せになるにはどうすればいいかが教えられたもので、お葬式で読まれるお経には幸せになる方法が書かれているということです。

 

そこまで聞いてぼくにはひとつの疑問が浮かんだので質問しました。

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「どうしてお経をお葬式で読むんですか?」

幸せになる方法を亡くなった人に向けて読むことに意味があるとおもえなかったからです。

 

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「お経は亡くなった人に向けて読んでいると思われてますがそうではなくて、生きているわたしたちにむけて読まれているものなんですよ。」

 

どうやら亡くなった人に読んでいるという世間の認識そのものが間違いのようでした。

「なんだか思っていたものと違う」

もう少し続けて聞いてみることにしました。

 

吹奏楽部の先生が言っていたことと同じ

話がそれますが、ぼくの行っていた高校の吹奏楽部は全国大会にも出場していて、当然ぼくも全国大会を目指して練習していました。

 

顧問の先生は演奏について教えることは少なく、ぼくたちの生活指導に力を入れていました。

なぜなら楽器は演奏する人の心が大きくあらわれるもので、いいかげんな物の考え方をしているとそれが演奏に出てしまうからです。

「日ごろの生活はすべてステージに出る」それが先生の口癖でした。

 

特に重要なのは他人を思いやる気持ちと感謝の気持ちをもつこと。

 

入部してすぐに先生が言っていたことに「すすんで雑巾をもて」というものがあります。

これは「人の嫌がることは率先してやろう」ということです。

掃除ではどうしても楽なほうきでの掃き掃除をしがちで雑巾を持とうとしません。

そこを率先してみんなが嫌がる雑巾での掃除をやるようにすることで普段から周りに応援してもらえるようになり、自信もついてきます。

 

土日の部活のときには練習に使わせてもらっている感謝を込めて、朝学校のトイレや廊下を毎週掃除していました。

また、普段からゴミが落ちていたら拾ってゴミ箱に捨てていました

捨てたのは他の人ですが、誰が捨てたかは別として拾えばその場所がきれいになります。

 

学校以外ではコンビ二で買い物をしたときや飲食店で食べたときのレジで店員さんに「ありがとうございます」と感謝を伝えたりしていました。

 

これと同じことが仏教でも教えられています。

自分のことよりも他人の利益を考え行動することを自利利他といい、常に自分だけでなく相手の利益にもなるように行動することが大事と教えられています。

 

また恩を知らない、感じない人は不幸になると教えられていて、受けた恩を返すことを大切にしています。

 

このようにぼくが高校時代大事だと教わったことは仏教でも大事と教えられていて、共通点があります。

ぼくにとって仏教ははじめて聞くことばかりでなく先生の話を思い出して「なつかしい」と感じることもありました。

 

ぼくは高校の吹奏楽部で教わったことを実践していくことで大きく成長させてもらうことができました。

だから仏教の教えを実践すると自分にどういう変化があるのかが高校の3年間を通してもう身をもって分かっていたので、仏教の教えも正しいものだと受け入れられました。

 

顧問の先生は仏教を知っていたんでしょうか?あまりに一致していておどろくばかりです(゜_゜)

 

周りを喜ばせる人になる

最後は仏教を学んでどうなっていきたいかについてです。

 

ぼくはどうも内向的な人間で、自分の内側にこもってしまいがちで、そのせいで悩むことも多いです。

そこをもっと外に意識をむけて周りを喜ばせる人間になっていきたいとおもっています。仏教でいう自利利他ですね。

それができればぼくも楽になるし周りにもいい影響を与えられるはずです。

 

ぼくは何にもしていないのに周りの人たちは親切にしてくれるし、助けてくれたりします。

なんか申し訳なくなってくるんですよ 笑

 

受けた恩は返すものです。

恩が増え続けている気がしますが少しずつがんばります( ・ω・)ノ