満喫ぶろぐ

2つの吹奏楽団でTubaを演奏する楽器歴10年目。富山県在住。スピッツはたぶん一生好き。小心者でビビリながらも興味のあることはいろいろやってみるタイプ。

「ワンピース」にあって「進撃の巨人」にないもの②

 

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前回は「ワンピース」と仏教の共通点について書きました。

 

rsp4690.hatenablog.com

 人生の目的とは何があっても変わらない本当の幸せになることであり、ルフィたちの言動は本当の幸せになるために必要なものです。

 

今回は「進撃の巨人」と仏教から、人の生きる意味について考えます。

 

 

 死んだ兵士に意味はないのか?

 

進撃の巨人は、人を食べる「巨人」に対して人間が戦いを挑んでいます。

しかし巨人とは圧倒的な力の差があります。巨人に対して人間は無力な存在です。

 

調査兵団の兵士が巨人の正体を探り、反撃の方法を見つけようとするものの、4年間で9割もの兵士が巨人に襲われ、死んでいっています。

 

 

 どんなに夢や希望を持っていても幸福な人生を送ることができたとしても

岩で体を打ち砕かれても同じだ 人はいずれ死ぬ

 

ならば人生には意味がないのか?そもそも生まれてきたことに意味はなかったのか?死んだ仲間もそうなのか?あの兵士たちも・・・無意味だったのか?

  

(20巻 第80話「名もなき兵士」より)

 

この問いに調査兵団のエルヴィン団長は「死んだ兵士に意味を与えるのは我々だ!」 といっています。

 

あまり伝わらないかもしれませんが、これは20巻の印象的なシーンのひとつで、かなりカッコいいシーンでした。

 

しかし僕は何だかしっくりこない感じがありました。

もしこのとおりだとしたら、誰かが意味を与えないと生きている意味はないことになってしまいます。

 

役に立たない命は意味がないのでしょうか?

 

 

すべての人のたった一つの目的

 

仏教には「唯我独尊」という言葉があります。

 

この言葉は、すべての人は人間に生まれなければ決して果たせない、たった一つの目的があって生まれてきたと教えられている言葉です。

 

生まれた目的は、何があっても変わることのない本当の幸せになることです。

 

幸せというと多くの人はお金がたくさんある、結婚して子供を産むなどを思い浮かべます。

 

しかしこれらは本当の幸せではありません。

 

お金は使えばなくなるし、配偶者や子供は死に別れもあれば生き別れもあります。いつかなくなる幸せです

 

多くの人は何のために生きるかではなく、どう生きるかばかり考えています。そしていつかなくなる幸せばかりを求め続けています。

 

 

進撃の巨人」で描かれているもの

 

「ワンピース」のルフィたちは本当の幸せになるために必要な自利利他の考えをもっていて、生きる目的に向かっているといえます。

 

しかし進撃の巨人」で描かれているのは、どう生きるかばかりです。

 

主人公のエレンたちは、どんなに絶望的な状況になっても生き抜くことをあきらめず巨人と戦いますが、生きること自体が目的になっていて何のために生きるのかは考えていません。

 

前述したシーンは生きる意味を説いているように感じますが、結論は「どう生きるか」になっています。これが僕の感じた違和感のもとだと思います。

 

どんな人にも同じように生まれた意味と生きる目的がちゃんとあります。そのことを教えられているのが仏教です。

 

 

まとめ

 

「ワンピース」と「進撃の巨人」のどちらがいいとか悪いというわけではなく、あくまで僕の思う違いについて書きました。

 

僕は最初生き方を求めて仏教を学び始めましたが、今は生きる目的があってこそのどう生きるかだと思います。

 

なんとか本当の幸せになりたいものです。

 

今日も読んでいただきありがとうございました(^ ^)