満喫ぶろぐ

2つの吹奏楽団でTubaを演奏する楽器歴10年目。富山県在住。スピッツはたぶん一生好き。小心者でビビリながらも興味のあることはいろいろやってみるタイプ。

厳しいのは部員のため

前回に引き続き自分と吹奏楽について書きます。

  1. 楽器だけで高校を決める
  2. 全国大会を目指して練習

 

 

 

1.楽器だけで高校を決める

 

 

吹奏楽部のほとんどは夏になると

吹奏楽コンクールに出場します。

 

 

僕のいた中学校では県大会止まりで

その先の北陸大会に進むことは

ありませんでした。

 

 

部活動としては高い目標をもってそれに向かって、というような

はなかったのでそれが結果にもあらわれているかなと思います。

 

 

しかし部活動を通して吹奏楽の楽しさを知ることができたので

高校でも吹奏楽を続けたいと思うようになりました。

 

 

なので高校も吹奏楽だけで選び、そのために行くこととなりました。

 

 

僕が進学したのは、地元富山だけでなく

石川、福井の北陸支部の中でも名門として知られていた

富山商業高校です。

 

地元では富商(とみしょう)と呼ばれているこの学校は

僕が入学した時点で全国大会に29回出場しており

これは入学当時で全国で4番目の出場回数でした。

 

 

吹奏楽を始めてから富商の話を耳にするようになり、

中1中2の2回、定期演奏会を観にいっていました。

 

 

定期演奏会では特にマーチングが人気となっていて

毎年3回行われる演奏会は

2000人入るホールが毎回満員となっていました。

 

 

中学生当時の僕としては次元が違う演奏のように感じ、

ただただ圧倒されていました。

そのときは自分が富商吹奏楽部には入るとは思ってもみませんでした。

 

 

富商に行こうと思ったのは中2のときです。

 

 

中2になると進路希望の調査があり、進路について考えることになります。

行きたい高校、と考えたとき富商の他に浮かびませんでした。

 

 

演奏会を観にいっていたといってもそれまで富商に行きたいと考えていませんでした。

 

 

自分で自覚していないだけで実は憧れていた、ということかもしれません。

 

 

ただ富商は前述したように全国大会にも出場する学校です。

そういう学校に行くとなると

 

その部のレベルについていけるのか、やっていけるのか

 

という不安がわいてくるものだと思います。

 

 

当然その不安は感じましたが

 

「まあ、なんとかなるだろう」

 

と考えていてそれほど心配していませんでした。

 

 

 

僕は普段、あれこれ考えすぎてしまいます。

 

しかし部活入部時の楽器決めのときもそうですが

進路など大事なことはあまり深く考えず感覚で決断する傾向があります。

 

 

でも後から考えると深く考えなかった決断ほど正しかったと感じるので

あれこれ考えないほうがいいんでしょうね。

 

 

2.全国大会を目指して練習

 

何とかなるだろう、と考えていましたがやはりそう簡単ではなく 笑

 

 

部の中でそんなにうまいほうではなかった僕は

顧問の先生にものすごく怒られました。

 

 

「雑巾つまったみたいな音」

とかきついこともたくさん言われていました。。。

 

 

こんな話をすると

 

そんなふうに言われてて嫌じゃなかったのか、楽しいのか、

と思うかもしれません。

 

 

もちろんいい気分ではないですしやめたくなったことも何回もあります。

 

 

しかし先生が厳しいことを言うのは

うまくなってほしいという思いからであって

僕ら部員のことが憎くて言っているわけではありません。

 

 

そういう考えで言ってくれているというのが感じられるので

出来るようにがんばろうと思えました。

 

 

それでも辞めたくなることもあり、それでも辞めなかったのは

 

学校には吹奏楽をやりに来ているようなものだったので

 

部を辞めたら学校に来る意味がなくなる、

そんな強迫観念のようなものでもありました。

 

 

全国大会を目指すとなるとどうしても厳しい練習をすることになり

そのぶんつらいこともありますが

 

高い目標に向かってみんなで練習していくのは

それだけ楽しいこともたくさんありました。

 

もし部活を辞めていれば社会人になってからも吹奏楽を続けるということは

絶対になかったし、吹奏楽に限らず今に生かされていることはたくさんあります。

 

 

だから本当に辞めなくてよかったです。

 

 

全国大会にはあと一歩というところで届きませんでしたが

 

その後の人生で大切なことをたくさん学んだ3年間でした。